19世紀以降、日本人とユダヤ人が活躍できたわけ

 

こんにちは!

 

お読みいただきありがとうございます。

 

さてさて、本題に入るまえに、ひとつ。

 

ブログを読んで下さっている方は
ご存知いただけていると
思うのですが、、、

 

わたしは、ずっとツイッターでも
ユダヤ、ユダヤ、ユダヤ・・・と
となえております。

 

もちろん、ブログもユダヤです。

 

ただ、それって、なんで?
ってことが

 

みなさんにちゃんと
伝わっているのかなーと
ふと思いまして、

 

念のため、なぜ、
ユダヤ、ユダヤと唱えているか、
少しだけ簡単に
お話させていただこうかと思います。

 

ユダヤ、ユダヤという
理由なんですが、それは、

 

「日本人は、ユダヤ人の
いいとこどりをすればもっとよくなる」

 

とマジメに思っているからなんです。
(もちろん、自分や自分の子どもも含めて)

 

ですので、
「ユダヤってこんないいところが
あるらしいよ!」っていうのは

 

あくまで、ユダヤの思想や思考を拝借して、
「日本もっとよくなろうー!!」
という願いがあってこそなんで、

 

まずもって、日本ありき!
ということが、伝わっていれば
いいなーと思います。

 

(ユダヤ民族妄信とかではありません!💦)

 

ということで今回は、
「日本人とユダヤ人が
19世紀以降、活躍できたわけ

 

というお題で書いていきたいと
思います。

 

白人・キリスト教徒とはり合えたのは、日本人とユダヤ人だけ

 

考えてみもみれば、

 

世界は白人とキリスト教を
中心に回ってきたようなもんです。
(極端ですが・・・)

 

そんな中、日本は、
1905年、日露戦争に勝って、

 

白人が覇権をにぎっていた
世界のなかで唯一、

 

非白人国家として
認められました。

 

1905年といえば
明治38年です。

 

明治に入って、
「明治維新だー!文明開化だー!」
「西洋においつけー!!!」

 

と言って、
がんばるわけなんですけど、
考えてみたら、

 

たかだか、30数年で
そのレベルに達しました。

 

30数年というと
長いと言えば長いんですが、
短いといえば短い。

 

そもそもの素地が無ければ
世界の強敵に肩を並べるまでに
いたらなかったと思います。

 

ユダヤ人だって同じ19世紀、
というタイミングで、

 

ゲットーという
ユダヤ人居住区から
解放されてから、

 

金融、経済、政治、
芸術、科学技術、医学など
あらゆる分野で活躍してきました。

 

じゃあ、その両民族の素地って?
なにか?というお話なんですが、

 

これが、まさに教育にある
という話です。

 

ユダヤ人居住区、ゲットー

 

ユダヤ人の存在は
キリスト教徒にとって
邪魔もの以外の何ものでも
ありませんでした。

 

だから、ユダヤ人は
「キリスト殺しの民族」として

 

とことんいじめられ、
さげすまれてきました。

 

その一つの象徴が、中世の
「ゲットー」という居住区です。

 

ゲットーは、
高くて厚い壁に囲まれた場所で、
出入り口には重い門があり、

 

その外には
大きな鉄製のカギをもった

 

キリスト教徒の門番が
つねに立っていました。

 

しかも、ユダヤ人は
閉じ込められてそこに
住んでいるだけなのに

 

その門番の給料は
ユダヤ人が支払わないと
いけないという始末でした。

 

居住区は本当に狭くて、
たとえば、

 

一部屋に平均して
45人くらいの人が
寝起きしないといけないくらい、

 

ぎゅうぎゅうに
詰め込まれていました。

 

立地も悪く、
川辺の近くの低地に
あるゲットーでは、

 

川が氾濫するとすぐに
町中が水浸しになり

 

道もせまくて
風通しも悪いという

 

かなり、悲惨な衛生環境に
苦しんでいました。

 

しかも、ゲットーの
すぐそばのキリスト教会の
入り口には

 

「神によって呪われた民、
真実を捨てた民」

 

なんて、ヘブライ語で
書かれた看板みたいなもの
掲げられており

 

ユダヤ人はとことん
差別されました。

 

でも、なにがすごいって、
そんな状況でも

 

ユダヤ教をかたくなに
守りぬいた、ということです。

 

なかでも、教育をとても
大事にしていたので、

 

どんなに狭い敷地であろうと
どんなに環境が悪かろうと、

 

学校をつくることは
死守しました。

 

そして、古代から続く
ユダヤの教育法にのっとって、
聖書やタルムードの
勉強をおこたりませんでした。

 

ユダヤ人は、
閉じ込められては
いたんですが、

 

このゲットーの中においては
キリスト教に干渉される
ことがなく、

 

とことん、ユダヤの教えを
守り抜きました。

 

むしろ逆に、このゲットーが
あったからこそ、

 

ユダヤ民族の結束が固くなり、
文化を守ることができた

 

とも言えほどです。

 

江戸時代の日本

 

かたや、江戸時代の日本は
もちろん、ユダヤみたいに

 

ぎゅうぎゅうに閉じ込められた
わけではありません。

 

ただ、日本列島という恵まれた
自然環境が「鎖国」を
可能にしたということもあり

 

独自の文化を
生み出してきたことは
事実です。

 

なかでも、教育については
とても熱心で、

 

江戸時代の寺子屋は
非常に有名です。

 

日本人とユダヤ人ほど
庶民に学問が浸透していた民族は
いません。

 

なお、寺子屋では
「往来物(おうらいもの)」
という教科書が使われていて

 

この種類がなんと7000種類

 

師匠といわれる教員たちも
個性的だったので、

 

子どもたちも、バラエティー豊かに
育ちました。

 

ちなみ、現在の文科省の
教科書ってどのくらいあるのかな?

 

と思って調べてみましたら

 

たとえば、小学校の
国語なら4種類
算数なら6種類
そのくらいしかありませんでした。

 

(ご参考まで↓
文科省 教科書目録)

 

でもって、大学受験なんて、
みんな同じ試験に
向かって走っていくので

 

そりゃ、考え方も似てきて
創造力もなくなっていくなー

 

という感じがします。
(まさに自分が体験してますが・・・)

 

現在の話はともかくとして、

 

繰り返しになりますが、
19世紀に至るまでに、

 

日本やユダヤほど、
一般庶民に教育が確立していた
民族はいなかったのです。

 

だからこそ、
19世紀に入って
解き放たれたときに

 

両民族とも活躍することができた、
ということです。

 

信念って大事だな

 

ユダヤは間違いなく
頑固もの宗教です。

 

でも日本も昔はきっともっと
頑固だったんだと思います。

 

江戸時代は今以上に
家の制度が確立していて

 

家を死守することへの
頑固さがありました。

 

頑固さというと
聞こえが悪いですが、

 

頑固は「個性」でもあり
「信念」とも言います。

 

ユダヤと昔の日本人に学ぶところは、

 

やはり、個性や信念をもって
「学ぶこと」が
いかに大切か、ということです。

 

そして、それは、ある程度の
閉鎖された状況のなかでやる
必要がある、ということです。

 

現代は、いろいろなものが
目に入り、耳に入ってきます。

 

だからこそ、あえて、
疑似的にでも

 

自分で鎖国状態をつくって
これぞと思うものに取り組む姿勢が
必要だということです。

 

それが、
メディアなのか
人間関係なのか、
空間なのか、

 

人によってそれぞれだと思いますが、
なにか信念をもつということは、

 

「何かを断つ」という頑固さなんだな、
ということに

 

19世紀以降活躍した
日本人とユダヤ人に学んだという
お話でした。

 

P.S.

 

頑固と言えば、三女です。
(写真の人物です)

 

頑固過ぎてもう
手に負えません。

 

いま2歳でイヤイヤ期真っ盛り。

 

どんなことでも
自分でやると言って聞きません。

 

大人になったら
「あーできないかも><」なんて
思うのに、

 

子どもは一切思わない。

 

大人も見習わないといけません。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

いつもお読みいただいている方々、感謝感謝です。

 

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