教育は『暗記』だ!

 

こんにちは!

 

お読みいただきありがとうございます。

 

今回は、

 

岡本太郎さんの
「芸術は爆発だ!」

 

みたいな題名を
つけてみましたが(笑)

 

ユダヤの教育法について
書いていきたいと思います。

 

日本では「詰め込み教育」、
批判されていますよね。

 

暗記教育はだめだ!
自分で考えなくてはいけない!
発想力だ!

 

などなど、、、。

 

詰め込み教育の批判、流行ってます。

 

でも、それって、
ほんとうなの?

 

という話をユダヤの教育法をもとに
していきたいと思います。

 

文明は暗記のうえに築かれた

 

結論からいいますと
ユダヤの聖典では、

 

「暗記ほど、学力をつけるのに有効な手段はない」

 

といっています。

 

最近の日本では、
めっぽう評判が悪い暗記ですが、
ユダヤ的にはむしろ、

 

「暗記を否定するなんて、
とんでもないわ!」

 

という話です。

 

というのも、
ユダでは教育の根本は
あくまで、「暗記」にあると
考えています。

 

なぜって、
教育の歴史はすべて
「暗記」に始まっているからです。

 

ユダヤの聖典はもちろん、
ギリシア文学
日本の「古事記」
孔子の「論語」

 

などなど、

 

いずれも、文字文化の発展以前は
口伝によって伝えられてきました。

 

つまり、人の言ったことを記憶して
それをまた人に伝える、ということです。

 

そもそも、
いまみたいに手軽に紙や本が
手に入れられなかったためです。

 

いまでこそ、
紙や本は安価で手に入りますが、
むかしはとても高価でした。

 

とくに古代はそうで、
物理的に書き留めるものがないから、
頭に書き留めるしかない!

 

つまり、暗記がごくごく
当たり前だったんです。

 

文明は「暗記」によって発展してきた!
と言っても過言ではありません。

 

そして、ここが大事なんですが、

 

必然に迫られれば、
人間の暗記力はそれくらい、
優れているってことです。

 

ユダヤから言わせれば、
現代人は、ラクしすぎです。

 

本来、人間には分厚い本一冊分くらい
覚えられる記憶力が
あるにもかかわらず、

 

いまは本は安く手に入るし、
動画もあるし、
音声もある、、、

 

便利教材が
そこらじゅうにあり過ぎて、

 

本来、人間がもっている能力が
どんどん奪われている状況です。

 

いっぽう、むかしは、
教える側の教師にしても、
知識や知恵はすべて頭の中に
保存していました。

 

教える側も教えられる側も、
「あとで本みりゃいいやー」なんて
感覚がないので、その瞬間瞬間、
つねに必死でした。

 

そのくらい、
記憶のメモリーは大きいし、
人間の最大の武器だったんです。

 

ユダヤの暗記法

 

ユダヤの「イェシバ」という
神学校では

 

いまでも、何百人もの学生が
聖典を暗記しようと勉強しています。

 

この際に、大事なのが、
「音読」です。

 

聖典には

 

「聖典を音読しないものと、
賢者の言葉をメロディをつけて
朗読しないものはよくない」

 

と書かれているくらい
音読が重視されています。

 

声を出すのは、
自分に話しかけることであり、

 

堂々と声を出すことは、
精神にもよい効果があるとされています。

 

そして、当たり前ですが、
一気に大量に音読することはできません。

 

聖書にも
「教えは一つずつ、一つひとつ、ここを少し、次をすこし」
とあるんですが、

 

つまり、記憶は、
”地道に地道に” が基本ということです。

 

ユダヤでは、

 

「一夜漬けの勉強はいかん!」

 

「そんな一攫千金みたいな
考え方をしていたら、
身に付くわけがない!」

 

と戒めがあるくらい、
地道さを大切にします。

 

過去振り返ってみれば、
テストのために一夜漬けで覚えて、
テストが終わったら一瞬で忘れる。

 

誰しもありますよね、こんな経験。

 

でもこれ、ユダヤ的には愚の骨頂です。

 

「暗記」=「✖」ではありません。

 

一夜漬けの暗記が「✖」であって、
少しずつの暗記は「」なんです。

 

暗記は「スタート」でしかない

 

思考するにもベースがいります。

 

たとえば、論理的な文章を書くには、
「論理的な文章の型」が
頭にあってこそ書けるものです。

 

当りまえですが、
型なくしては書けません。

 

ベースがあるからこそ、その上に

 

・疑問を思いついたり
・まったく別もの同士を組み合わせてみたり
・連想したり
・新しいものを組み立てたり

 

ができるのです。

 

「型破りは型があるからこそできる」
ものであって、
そもそも、型がなければ
やぶることなんてできません。

 

ユダヤはその型を徹底的に体に
覚え込ませているからこそ、

 

次のステップとして
型を破って未知なるものを
作り出せるんです。

 

いま、「思考力だ!」「発想力だ!」と
いかにもらしい言葉が世間で
騒がれていますが、

 

ユダヤ的発想では、
そもそもの「思考力や発想力」
のベースは「暗記」にほかなりません。

 

そのベース無くして
「思考力だ」「発想力だ」
なんていうのは

 

基礎工事をせずに、タワーマンションを
建てるようなもんです。

 

・・・・とはいえ、わかります。

 

なにかを覚えるのって苦痛です。

 

でも、人間の脳は
本一冊くらい覚えられる能力を
本当はもっているんです。

 

いまは、脳みそがラクしすぎて
本当の力が発揮できていないだけなんです。

 

とくに、子どもは大人ほど暗記への
抵抗力がありません。

 

小学生はとくにチャンスです!

 

教科書でも、すきな本でも、
バンバン音読させて、
記憶させればいいんです。

 

最初は丸覚えで、そのうち、

 

その内容に「なぜか?」と
文脈を考えるようになれば
より記憶が定着します。

 

ユダヤだって、
最初は3歳からわけもわからず
聖書を口ずさんでいって、

 

そのうち、大きくなれば、
「なぜ神はこんなことをされたのか?」と
考えるようになります。

 

子どもの無限大の貯蔵庫に、
大人が勝手にリミッターを
設けるなんて、もったいないです。

 

子どものパワーを信じましょう。
「詰め込み教育、上等です!」

 

日本は、いままで
詰め込みをゴールにしてきたから
よくなかったのであって、

 

ユダヤでは
「詰め込みは始まり」です。

 

ようは、「始まりにすぎない」
わけです。

 

「始まり」がなければ
当然、そのさきもありません。

 

「始まり」大事にしましょう。

 

ということで、今回は、

 

「教育は暗記だ!」

「『アンチ暗記教育』にこそアンチだ!」

 

というお話でした。

 

 

 

ユダヤの考え方は
「人間の本質は何千年も前から
変わっていない」

 

というのがベースです。

 

だからこそ、
何千年も昔のできごとを書いた
聖書を学びます。

 

現代は、次から次へと
新しいものが溢れ返って
ついていくだけでも必死です。

 

そんないまだからこそ、
過去を大事に、
何千年もの歴史に学んでみる。

 

これがユダヤに学ぶ
真骨頂だと思います。

 

このブログを
読んでくださっているかたも、

 

「どうやら、古いものにこそ
本質があるのかも」

 

と、思って下さっているのかな
と勝手ながら想像してみたりしています。

 

P.S

 

我が家の長女(7)と次女(5)は
競馬にはまり過ぎて、

 

馬の名前をすでに50頭以上
覚えています。

 

わたしにはまったく
ついて行けない世界です。笑

 

子どもの暗記力に驚きです。

 

 

ではでは、今回も、
最後までお読みいただき
ありがとうございました!

 

 

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