「やばい」は「やばい」、世界にはなぜ、たくさんの言語があるのか?

 

こんにちは

 

お読みいただきありがとうございます。

 

さて、今回は聖書に出てくる
「バベルの塔」
という話について

 

感じたことがあったので
話してみたいと思います。

 

 

バベルの塔

 

聖書に出てくる「バベルの塔」
はとても短いお話です。

 

簡単にどんな話か説明しますと、

 

時代は「ノアの箱舟」のあと、

 

人間は、
「天にいる神にまで届くような
塔を作ってやろう」と言って、
高い塔を建設し始めました。

(↓ こんな感じです)

 

 

 

 

 

 

これをみた神は、

 

「こんなうぬぼれたことをするのは
人間たちが同じ言葉を
使っているからだ。

 

ならば、違う言葉を
話すようにしてしまえ!」

 

と言って、

 

それまで共通の言語で
話していた人間たちに、
別の言語をしゃべらせるように
してしまいました。

 

すると、人間たちは、
急に相手がわけの分からない言葉を
話し始めたので、混乱して、
あちこちに散っていきました。

 

というお話です。

 

この物語の意味は2つあります。

 

まず、ひとつ目は
どうして、人類が、地域や民族ごとに
異なる言語を話すようになったのか?
その理由を示しています。

 

そして、ふたつ目は
神の領域に踏み込もうとした
傲慢な人間は、さばきをうける
ということを示しています。

 

 

子どもも大人もよく使う「やばい」という単語

 

最近、小学2年の長女が、
「やばい」「やばい」を
連発するようになりました。

 

たとえば、

 

お菓子を食べておいしいとき
・・・「やばい」

 

学校で男子にからまれたとき
・・・「やばい」

 

暑くて汗がとまらないとき
・・・「やばい」

 

妹が泣きわめいているとき
・・・「やばい」

 

競馬で、好きなウマが一着になったとき
・・・「やばい」

 

とりあえず、
ことあるごとに
「やばい」
と言っています。

 

「やばい」って
こんなに幅広く使えて便利なのかー
と感心しています。

 

子どもに、
「なんでそんなに
『やばい』ばっかり言うの?」
と聞いてみると、

 

「え?だって学校でみんな言ってるしー」
ということでした。

 

よくよく考えみると、

 

自分のクセはわからないのに、
人のクセはやたらに
目につくのと同じで、

 

わたしも、この「やばい」
という単語、知らず知らずのうちに
めっちゃ使ってるかも
と気が付きました。

 

どうですか。
大人でも結構、使ってませんかね。

 

ちなみに、
やばいの本来の意味は
以下の内容だそうです。

 身に危険が迫るさま。あぶない。

 不都合が予想される。

 若者言葉で、「すごい」。自身の心情が、ひどく揺さぶられている様子についていう。
若者言葉では「格好良い」を意味する肯定的な文脈から、「困った」を意味する否定的文脈まで、広く感動詞的に用いられる。

(出典:三省堂 大辞林)

つまり、いまは③ですね。

 

用途が広がって、
便利につかえる言葉ということです。

 

とりあえず、「やばい」と
言っておけば、

 

「自分が何かに心を動かされている」
ということは表現できるし、

 

ほかの人もよく使っている
便利で簡単な言葉だから
共感も得やすい。

 

あんまり深く考えなくても
こんな感じかなと適当に
イメージしやすい。

 

こんなふうに、「やばい」は
何かしら感情が振れた状態を
簡単に表現できる単語で、

 

もはや条件反射的に
使っている言葉に
なっている気がします。

 

「やばい」に支配されるのは「やばい」

 

でも、ここで思うのが、

 

「便利」「楽(ラク)」
「共感を得やすい」
「みんな使ってる」
「なんとなくわかる」

 

という性質の「やばい」を
安易に使ってしまうことの代償です。

 

冒頭の「バベルの塔」の話では、

 

単一言語を使う人間の傲慢さに
神は激怒します。

 

世の中を知った気になって、
何でもできると思うなよ、
と言って、神は人間に
バラバラの言葉を与えます。

 

それまで、人間同士は
簡単にわかり合えていたのに、

 

神の怒りを買ったために、
「わかり合えなくなる」という
代償を負います。

 

でも、これ、
考えようによっては、
このまま同じような言葉を
使い続ければ、

 

人間として堕落するぞ、
もっとそれぞれが頭を使えよ、

 

と、神がご丁寧にも、
ストップをかけてくれた
とも思えます。

 

ここで、「日本語だけを
しゃべっていてはいけない」
なんていう話をするつもりは
ありません。

 

そういう話ではなくて、

 

安易に、楽な言葉にたよって
それを多用することを

 

一度よくよく考えてみる必要が
あるのではないか、という話です。

 

「やばい」は日本語のなかでも
ただの一つの単語でしかありません。

 

いま、そんな「やばい」が
5個も10個も意味をもっています。

 

これはこれで便利です。

 

でも、その「やばい」が、
力を持ち過ぎたあまりに

 

本来なら、心のなかに
5個も10個もいろんな感情が
浮かんでいるはずなのに、

 

「やばい」という、
たったひとことで
片付けてしまえる。

 

そんな目先の楽を
選んでしまうことに
危うさがあるんじゃないか、
ということです。

 

そして、ここで、
もっと危ういのは、

 

この「やばい」を
安易に使っているのが、
子どもの場合、

 

子ども自身が、いまの段階では、
それが危険だと
感じる力がないということです。

 

何も気づかぬまま、
毎日、毎日、来る日も来る日も
「やばい」を使い続け、

 

あるとき、ふと、子ども自身が、

 

「あれ?わたしの心の中には
ほんとはもっといろんな感情が
あるはずなのに、

 

どうも口に出そうとすると
『やばい』ばっかになっちゃうな。

 

思っていることはもっと
複雑なのに、どうも
ピッタリくる言葉が浮かばない

 

困ったけど、
どうしたらいいのか、わからない。
わたし、やばいやん。」

 

というように、
悩むこと自体ですらも

 

「やばい」という単語なしには
悩めないという、
状況がやってくるかもしれない
ということです。

 

思っていることが伝えられない
というのは、人間として
なによりもつらいことです。

 

人と本当の意味で、
わかりあえないのは、
悲しく、虚しいです。

 

いまは言葉を使わなくても、
絵文字、顔文字、スタンプ、
便利なものがいろいろあります。

 

自分の心を、
わざわざ言葉にする手間は
はぶこうと思えば、
いくらでもはぶけます。

 

便利なのでいいと思います。
わたしもよく使います。

 

絵文字は、その利便性を
ちゃんと理解して
表現の一手段として
使うのはとてもいいと思います。

 

でも、絵文字に感情表現を
すべて、ゆだねてしまっているなら
話はべつです。

 

お金といっしょで、
お金を道具として支配するのか
お金に支配されるのか、という話です。

 

本当なら、自分が言葉で
表現しないといけないところを、

 

絵文字に置き換えてしまうことで、
自分の語彙が減っている

 

とするならば、これは、

 

絵文字を使いすぎることについて
立ち止まってみる必要も
あるんじゃないかと思います。

 

楽を手に入れることで
失うものは何か?

 

少し考える瞬間が
あってもいいのかな、
と思いました。

 

ということで、娘にも

 

「『やばい』ばかり使うと、
楽は楽だけど、

 

なにが言いたいのか
相手の人に伝わりにくいから
別の言葉に置き換えて言ってみて。

 

周りの友達が使ってても、
ちょっと自分なりに
別の言葉にしてみて。」

 

と言ってみました。

 

子どもに言うからには
自分もやらなくては!

 

ということで、
今日から「やばい」を
封印してみようと思います。

 

語学の天才から学ぶ「音」と「くりかえし」の大切さ

 

ユダヤ人は語学が得意です。
何ヵ国語も扱えます。

 

昔から迫害されてきた
少数民族なので、

 

なんとか多数派に取り入るには
語学が欠かせませんでした。

 

生きるために
語学を身に付けてきました。

 

まずはヘブライ語、
そして、住んでいる地域の言葉、

 

いまであれば、
アメリカに住んでいる
ユダヤ人が多いので英語です。

 

ほかにもフランス語、スペイン語など、
複数言語を自由にあやつります。

 

なんでそんなに言葉を
覚えるのが得意なのかというと、

 

聖書の勉強法にヒミツがあります。

 

ユダヤ人は3歳から聖書を
そばに置いて、何回も何回も、
節をつけて音読します。

 

この「音」、「くりかえし何回も」が
記憶のヒケツです。

 

とするならば、

 

わたしたち日本人も、
自分の頭のなかで自分に
くりかえし聞かせている
「音(=ことば)」や

 

親が子どもに向かって
くりかえし発っしている
「音(=ことば)」

 

が、いかに重要かが、わかります。

 

将来的には子どもに
バイリンガル、トリリンガル、
を目指してほしい気もしますが、

 

まずは、いま自分の発する
日本語の「音」をみがくこと、

 

子どもにもできるだけ
豊富なバリエーションの「音」を
聞かせること

 

このふたつを、
意識的にやっていくことが
大切だと思います。

 

思考を作るのは「ことば」です。

 

もし、ご自身も
「ちょっと『やばい』かな?」
と思われたら、

 

自分の出す「音(=ことば)」に
今日から少し注意してみては
いかがでしょうか。

 

ということで、今回は

「やばい」は「やばい」

というお話でした。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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