「卵はゆでればゆでるほどかたくなる」というユダヤの「失敗」に対する考え方

 

こんにちは

 

お読みいただきありがとうございます。

 

今日はユダヤ人の祝日について
話したいと思います。

 

ユダヤにも日本と同じように
祝日がいくつかあります。

 

なかでも、今回は
もっとも古くて、もっとも大きい

 

「過ぎ越しの祭り(ペサハ)」
についてのお話です。

 

過ぎ越しの祭り

 

かつて、
ユダヤ人はエジプトで
奴隷として捕らえられていました。

 

そんな中、
神から命令された「モーセ」が
エジプトからユダヤの民を
脱出させたというお話です。

 

聞いたことないでしょうか。

 

よく「出エジプト」と言われます。

 

このお話、
ユダヤ人にはとても重要で、

 

モーセがユダヤ人を
エジプトから脱出させて、

 

神との約束の地
「カナン(イスラエル)」に
向かわせたことで、

 

のちに、イスラエルの地に
ユダヤの国が出来ました。

 

つまり、モーセの出エジプトは
国をつくるにあたっての
歴史的な偉業です。

 

そのため、いまでも、
お祭りとして祝うのですが、
実は、この祝日の目的は
もう一つあって、

 

「エジプトで奴隷として
働かされていた屈辱、
民族としての失敗」

 

を忘れないために、
わざわざ祝うということも
大きな理由です。

 

そして、この辛い思い出を
体でも味わう重要な儀式が、食事です。

 

当時、ユダヤ人たちは、
あまりに急いでエジプトから
脱出したため、

 

パンを膨らませる時間がなくて
膨らまない、まずいパンを
食べることになりました。

 

そのため、
エジプトでの屈辱生活をいまでも
忘れないようにと

 

この祭りのときには、
わざと、ペッチャンコの
まずいパンを食べます。

 

パン以外にも、
「苦い野菜」を食べて
舌で、「屈辱」を
思い出すようにしています。

 

そして、もうひとつ、
必ず登場する食べ物が
「ゆで卵」です。

 

なぜ、ゆで卵かというと、
「卵はゆでればゆでるほど、かたくなるから」
という理由です。

 

確かに、肉や魚、野菜は
普通はゆでればゆでるほど
柔らかくなって、
ついには形が崩れていきます。

 

でも、卵は、ゆでればゆでるほど
かたくなって、いくらゆでても
やわらかくなることがありません。

 

つまり、

 

人間も、ゆで卵と同じで、
「敗北」「失敗」を
経験すればするほど強くなる

 

という意味を込めて
ゆで卵を食べるのです。

 

こんなふうに、「ユダヤ人」は、
「屈辱と失敗」をしぶとく
記録しておくことを
とても重視しています。

 

つまり、そのくらい
粘着質ともいえますし、

 

そのくらい、
失敗を活かしている民族
とも言えます。

 

いっぽう日本は、

 

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
「パッと咲いてパッと散る桜」
「終わり良ければすべて良し」

 

などと言うように、

 

どうも、あっさり風?な
ところがあり、

 

辛い過去は忘れてしまおう
といった雰囲気がある気がします。

 

ちなみに、ユダヤの
ビジネスマンのなかには

 

かつて失敗して痛い目に
あった事案の契約書を
オフィスに飾っておくくらい、

 

過去の失敗を忘れないように
意識的に行動している人も
いるそうです。

 

 

わたしたちの心に住み着く、やっかいな小人たち

 

日本人はそもそも、どうも
「失敗」への免疫力がなくて、
極度に「失敗」を恐れる傾向が
強い気がします。

 

かくいう私も、とにかく
「失敗はこわい、嫌だ、逃げたい」
ばっかり思っていましたし、
いまでも根強く思ってしまいます。

 

もうこれは、ある意味
不可抗力の域ですよね。

 

もはや、日本の文化か?
って感じです。
「だって、日本人だもの」
って言い訳したくなる世界です。

 

でも、何がタチが悪いって、
「文化だー、民族性だー」って

 

目に見えないもののせいに
したところで、
失敗が怖いという
自分の病は治らなくて、

 

失敗がひたすら怖いと思う自分と
これからも、永遠に暮らし続け
なければいけないということです。

 

性格の不一致、ということで
いっそのこと、離婚してしまいたい
くらいですが、

 

だれもそんな
離婚は認めてくれません。

 

我慢して添いとげるか、
考えを変えてやるしかないのです。

 

ここで、よくよく考えてみると、
生まれたときには
「失敗=こわいもの、いやなもの」

 

なんて刷り込みは、
なかったはずですよね。

 

なのに、どうも知らぬ間に
環境に影響されて

 

「失敗、いやだ」
「失敗、こわい」
「失敗するからやりたくない」

 

って文句ばっかりいう小人が
自分の中にたくさん住みついて、
気付けばどんどん繁殖して、

 

ついには、
追い出せなくなってしまった
のだと思います。

 

いくら

「画期的な都市開発がありますよ!」
「土地の価値あがりますよ」
「地価もあがりますよ」

って地上げ交渉したって、

 

「そんなうまい話あるわけないやろ」
「だましてるんちゃうか」
「そんな変化いらんから断るわ」

 

って言ってばかりで、
なかなか出て行ってくれません。

 

このしぶといグチ住人たちを
大人になってから無理に
追い出そうとすると、
とても苦労します。

 

それこそ、現実的に
追い出す手段としては

 

  • 本を読みあさる
  • セミナーを受ける
  • コンサルを受ける
  • メンターに指導をあおぐ

 

などなど、

 

いずれも、時間、金、
そして自分の精神的労力を

 

大量に投下しないと
太刀打ちできません。

 

それで打ち勝てたら
まだラッキーなくらいで、

 

場合によっては、それでも
太刀打ちできないくらい、

 

「失敗はいやだー!」という
やっかいな小人たちが
住み着いているのです。

 

失敗を悪者扱いしないところから

 

ユダヤの聖典タルムードには、
こう書かれています。

「あなた方の身を悩まさなければならない」

普通、宗教といえば、
災いから逃れることを
神に祈るものですが、

 

ユダヤは逆で、
「もっと苦労せよ」
と、神から指示が出されているのです。

 

また、こんな格言もあります。

「最も良い教師とは、最も多くの失敗談を語れる教師である」

 

ということは、どうやら
「失敗」というものを
冷静に見てみると、

 

「失敗」というのは
神がススめるくらい、

 

また、
先生になれるくらい
実は良いことらしいのです。

 

たしかに、大人になると
過去の失敗は自分のために
なったなーと思えることが
いくつか頭に浮かびますよね。

 

だとすると、
「失敗」そのものが
悪いのではなく、

 

過剰に「失敗を悪者にする」
というスタンス自体が
悪いだけなのです。

 

そして、それどころか、

 

じつは、失敗を避けようとする
スタンスが、
損をすることにすら
なっているのかもしれません。

 

目先の失敗を避けた結果、
もっと先にあるお宝を
手にするチャンスを逃した
という可能性すらあるのです。

 

とするならば、
そんな「価値ある失敗」
を子どもに体験させないのは
もったいないですよね。

 

そこで、思いついたのは、

 

子どもが小さくて
まだ先入観がないうちは、

 

「失敗」という概念自体を
作らないことが、
一番有効なんじゃないか、
ということです。

 

この日本に住んでいれば、
親がわざわざ教えてあげなくても、
間違いなく、

 

学校やら保育所やらで
「失敗」ってものがどんなものか
仕入れて帰ってきます。

 

だったら、家でわざわざ
「これが失敗よ」なんて
教えてあげなくて
いいんじゃないかと思ったんです。

 

たとえば、子どもが

 

・ジュースやらお菓子を
床一面にこぼしたとき、

・おしっこをもらしたとき、

・宿題をしてなくて先生に注意されたとき

 

どんなことでもいいんですが、
ついついこっちが
イライラしたり、

 

「普通はこうあるべきだよな」
って思いが頭をよぎると、

 

怒りにぶちまけて
怒ったり、怒鳴ったり
してしまいがちです。

 

でも、それが何度も何度も続くと
子どもは委縮します。

 

何をやるにも
ビクビクする子になってしまいます。

 

実際のところ、
長女がこうなってしまい、
私自身、とても反省しています。

(当時、育児にまったく
余裕がありませんでした)

 

なので、最近は
これではいかんなと思って、

 

イラっとすることがあっても、
ぐーーーーーーーーーっと
こらえて、

 

「ま、いいやん!
そういうこともあるわ!
次から気を付けてー。」

 

と、さらりと流すことにしてみました。

 

これはハッキリ言って
親にめちゃくちゃストレスかかります。

 

「わー!なにやってんの!!!!!
いい加減にしてよ!!!」

 

って騒ぐほうが、断然、楽です。

 

でもどうやら、
このオーバーリアクション

 

子どもの心に
知らず知らずのうちに

 

大きなストレスとダメージを
与えている可能性がある
ということに気が付きました。

 

ということで、とりあえずは、
封印してみるぞ!
とトライ中です。

 

とにかく、目的は
「失敗はだめなんだ」と
子どもが過剰に思わない
環境をつくること。

 

「失敗を失敗と思わせない」
というレベルにまで、
「失敗のハードルを極限まで下げること」

 

つまり、
なんでもOKくらいのレベルに
することです。

 

もちろん、人を怪我させるとかは
だめですけどね。

 

昔はそんな余裕もなければ、
考え自体もなかったんですが、
今後しばらく実験をしてみようと思います。

 

ゆで卵って、確かに
ゆでればゆでるほど
固くなります。

 

ただ、ゆでるまえに割れてしまえば
ゆで卵どころではありません。

 

だから、まずは
ゆで卵をお湯のはった鍋に
入れるまでは

 

親の我慢のしどころだ、と
思って、しばらく我慢してみようと
思います。

 

さいごに、おとなは?

 

大人も「失敗」という概念を消す
というのはオススメです。

 

成功している人は、
「失敗」というものは存在せず、
すべては「成功への通過点」
ととらえるようです。

 

「最後には必ず成功する」と
信じることが成功のヒケツです。

 

今回はユダヤの
過ぎ越しの祭りについてでした。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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