人生100年時代!どう働くか!?「労働」とは何か?を考えてみた

 

こんにちは!

 

今回も役立つユダヤ情報を
お届けしたいと思います。

 

さて、さっそくですが、
「労働」と聞いて
何を連想しますか?

 

「会社行きたくない」「ノルマ」
「プレッシャー」「給料少ない」
「上司、うるさい」「昇格できん」
「ムダ」「意味ない会議長すぎ」
「やること終わらん」「しゃーない」
「家族養うため」「生活のため」
「雑務ばっか」「しんどい」
「きつい」「だるい」

 

などなど、マイナスイメージですか?

 

それとも、

 

「やりがい」「仲間・同僚」
「楽しい」「明るい」「うれしい」
「昇格できた」「自己実現」
「尊敬できる上司」「目標達成」
「カイゼン」「効率化」

 

などのプラスイメージでしょうか。
(経営者の方はまた別の
発想だと思いますが)

 

きっと、サラリーマンだと
両方ありますよね。

 

ただ、どちらかというと、、、、
悲しいかな、日本は
前者のマイナスイメージが
勝っている感じがします・・・・

 

もれなく、わたしもそうでした!

 

まーでも、職場でも、
「わたし、毎日仕事に来るのが
楽しすぎてワクワクします!」

 

なんて言ってる人、
ほぼいませんよね。

 

ということですが、
今回は、この「労働」について、

 

  • ヘブライ聖書での意味は?
  • キリストとの解釈の違いは?
  • 労働に「悪」のイメージを最初に付けたのはだれか?

 

について話していきたいと思います。

 

ヘブライ聖書は「労働」をどう書いているか?

 

ユダヤ人の勤労意欲

 

まず、ユダヤ人は
勤労意欲が非常に高い民族です。

 

アメリカの『フォーチュン」誌の
調査によると、

 

1936年、アメリカにおける
産業別就業分布を調べたところ、

 

ユダヤ人の75%はブルーカラー労働で、
貧しい者が大半でした。

 

ところが、1980年代、改めて
調査をしていみると、

 

ユダヤ人の60%が
弁護士、医師、会計士、医師、薬剤師、技師
などの専門職に就いており、

 

かたや、ブルーカラーは
5%にまで減っていました。

 

当然、所得水準についても、
アメリカの白人を上回っていました。

 

ここでわかるのは、
ユダヤ人は非常にまじめで、
強い上昇志向を持っている
ということです。

 

ユダヤ人が勤労意欲が高い理由は?

 

では、なぜそこまで
勤労意欲が高いのかというと?

 

「ヘブライ聖書」の一番はじめ、
『天地創造』の神話に2つの理由が
隠されています。

 

まず1つ目の理由は

 

神が世界を作ったこと=「神聖なワザ」=「創造的ワザ」=「労働」

 

ヘブライ聖書には

 

神は「天地、動物、人間を作るためにワザをなした」

と書かれています。

 

ヘブライ聖書では、
この「ワザ」がすなわち「労働」
という意味であり、

 

「労働の意義は神の天地創造から学べ」
という思想が根底にあるのです。

 

そう、つまり、
労働は忌み嫌うものでも
なんでもなく、

 

まさしく、その行為自体が、
「神聖なワザ」
「精神的価値を高めるもの」

である、と解されています。

 

そもそも「労働」の言葉自体が、
「神の御業」ということなんですね。

 

次に、勤労意欲が高い2つ目の理由は

 

神が、アダムとエバにした指示の内容

 

神はアダムとエバに向かって、
こう言います。

 

生めよ、増えよ、地に満てよ

これ、日本語にすると
ただただ繁殖すりゃいいのか?
とも見えますけど、

 

ヘブライ語の原語では、
ただ殖えるだけじゃ
許してもらえないんです。

 

正確には、

「実りある成果を出せ!」
「それこそが重要な任務である」

と解釈されているのです。

 

つまり、人間は生まれながらにして
神から、

「成果主義だ!」
「結果にコミットじゃ!」

と指示されているのです・・・。

 

このように、ユダヤでは、
ヘブライ聖書が示すように

 

①労働は神がなすほどの
「神聖なワザ」であり、
価値があるものなんだ

②どうせやるなら、成果を出せ!
と神から指示されている

 

という2つが何千年も昔から
ユダヤ人の精神に
宿っているからこそ、
勤労意欲が高いんですね。

 

キリスト教との違いって?

 

でも、ここで一つ疑問が湧きます。

 

同じ聖書を聖典にしているはずの
キリスト教では全く真逆で、
「労働は神からの呪いだ」
とすら考えていました。

 

なぜでしょうか?

 

カトリックの労働観

 

この理由は聖書の『アダムとエバ』
の話にあります。

 

アダムとエバは「禁断の木の実」を
食べてしまったために
楽園を追放されてしまうのですが、

 

このときに、神はアダムとエバに
労働することを強います。

 

この解釈の仕方が、
ユダヤとキリストでは違うというのが
大きな理由です。

 

どう違うかと言うと、

 

ユダヤ教では
「人間は楽園では生きられないのかー。
自分の努力で生活するのがいいんだな」
と淡々ととらえたのに対して、

 

キリスト教では
禁断の実を食べてしまったから
パラダイスを失ったんだ!
これが、まさに人間の罪のはじまりだ!
「原罪」なのだ!
とネガティブにとらえたのです。

 

だから、キリスト教では
「労働は神からの罰、忌み嫌うもの」
という思想が出発点に
なっているのです。

 

この真逆の解釈は極端すぎて
ちょっとびっくりしますね。

 

ユダヤでは
「労働は神もなすほどの神聖なワザ」
と思っているのに対して、

 

キリスト(カトリック)では、
「労働は神から課せられたバツでしかない!
と思っているんです。

 

このポジティブさとネガティブさ、
まさに正反対です。

 

プロテスタントの労働観

 

では、プロテスタントは
どうかというと?

 

プロテスタントは
ユダヤと考え方が似ていて
「労働=神への奉仕、神聖なるもの」
と考えます。

 

というのも、そもそも、
プロテスタントというのは、
「宗教改革」で、カトリックに
反対してできた宗派です。

 

プロテスタントの思想は、

 

「聖職者ばっかが信仰を
独占してんじゃねーよ!」

 

「一般人だって、ひとり一人が
目の前の仕事を真面目にやってりゃ
天国に行けるんだよ!
だから仕事は素晴らしいんだよ!」

 

って考え方なので、
労働を肯定しているんですね。

 

ユダヤとプロテスタントの違い

 

確かに、ユダヤとプロテスタントの
労働への考え方は似ています。

 

ところがですね、これも、
実は、びみょーーーーに違っています。

 

どのあたりが、びみょーかというと、

 

それは、ルターがヘブライ聖書を
ドイツ語にどう訳したか?
というところにさかのぼります。

 

どういうことかというと、
ヘブライ聖書の「天地創造」の場面で、

 

ヘブライ語では
「神が『ワザ・任務』をなされた」
と書かれています。

 

にもかかわらず、
ルターは「ワザ・任務」のところが、
いまいち、どんな翻訳をすればいいか
わからずに、

 

単に「神が『仕事』をした」
というドイツ語に訳したんです。

 

これでも、一応、
大きく間違ってはいません。

 

でもここが、びみょーな問題で、
神の行為を『ワザ・任務』と訳すのと、

 

ただの『仕事』と訳すのでは、
意味が変わってきちゃうわけです。

 

本来、ヘブライ語にはあるはずの
大事な大事な『創造性ある神聖なる任務』
の意味が、

 

『仕事』って簡単に訳しちゃったので、
ヘブライ語が示していた大事な意味が
欠けちゃったんですよね。

 

で、ルターは、
なんかヘブライ語の「ワザ」を
うまくドイツ語に訳せないよなーーーー
ピンと来ないよなー
と思いつつも、

 

そのまま聖書の翻訳をどんどん進めて
終盤にさしかかったときに、
ようやく、

 

あ!ただの『仕事』じゃなくて
『天職』が正しい訳だな!
と気付いたんです。

 

でも、時すでに遅しで、
気付いた時にはすでに印刷屋さんに
お願いしてしまっていました。

 

いまの時代なら、パソコンで
一括置換!なんて一瞬でできますけど、
当時は全部手書きでやってたので、
全部修正するなんて無理ですよね。

 

その結果、結局、
聖書の「天地創造」の物語は、
「天職」ではなく、「労働」と
訳されたままの聖書が出回ってしまい、

 

プロテスタントの思想には
「人間の労働」が
神が創造するレベルと同じくらい
「神聖なるワザである」

 

というところまでの
思想は根付かなかったのです。

 

「労働」にマイナスイメージを植え付けた最初の人はだれ?

 

では、ここで、
ユダヤからもキリストからも離れて、

 

歴史上、
最初に労働にマイナスイメージを
植え付けたのはだれか?

 

について触れておこうかと思います。

 

だれかというと、それは、
古代ギリシアの哲学者たちです。

 

あの有名なアリストテレスも
「労働は奴隷の仕事だ」と言って
軽視していました。

 

これはそもそも、当時は、
「市民」と「奴隷」という
絶対的な身分の境界線があり、

 

「市民さまが
労働なんかするわけなかろう!」

 

「労働なんてものは卑しく、
呪いに満ちている!

 

そんなものは、
奴隷や、戦争に負けた者、
異国人がやればよいのだ!」

 

という価値観が
当時は当たり前だったからなんですね。

 

「市民たるもの、
肉体労働なんてものをすれば、
頭をつかって思考する余裕が
持てなくなる!」

 

「尊厳ある市民が
肉体労働なんてしなくてよい!」

 

という考えが当時としては
常識だったのです。

 

ということで、
長々書いてしまいましたので、
「労働」に対しての概念を
まとめてみますと、

 

ユダヤ
(5000年前から)
・労働は
神が行った「天地創造」と
同じくらい創造的で、
神聖なワザであり、任務である
・労働は、結果を出さないといけない
カトリック
(~17世紀後半まで)
労働は
「神からの罰」
「忌み嫌うもの」
プロテスタント
(17世紀後半~)
労働は
「神への奉仕」「神聖なるもの」
でも、あくまで神への奉仕にとどまる
神と同じくらい神聖であるとまでは言っていない
古代ギリシア 労働は
「卑しく、呪いの行為」

 

というように、
宗教や時代によって
それぞれの異なった考えが
おおもとにはあります。

 

いずれにしても、

 

ユダヤでは、何千年も前から
労働を「神の為すことと同じレベル」
「結果にコミットしなければならない」
で考えていたからこそ、

 

勤労意欲が高く、実績も残してきた
ということなんですね。

 

これからどうなる?

 

さてさて、
宗教や、時代によって『労働観』が
違うことを見てきましたが、、、、

 

これからってどうなるんでしょうか。

 

ここ数年、世界でも

『今の子供たちの 65%は、大学卒業時に、今は存在していない職業に就く』

『今後 10~20 年で、雇用者の約 47%の仕事が自動化される』

と言われています。

 

ちなみに、これを受けて、
文部科学省にもこんな掲載がありました。
↓↓↓
少人数教育の実現

 

この話はよく言いますけど、
YouTuberなんて職業、
10年前は想像すら
しなかったですよね。

 

YouTuberの元祖、ヒカキンさんが
動画を上げだしたのは
10年くらい前らしいです。

 

では、今後どうなるかというと、
とにかく、人間が
「イヤイヤやらないといけない仕事」は
無くなる方向にあるそうです。

 

画期的ですよね!

 

「仕事は苦しんでやるもんじゃー!!!
もっと苦しめー!!」
って銀行の上司から鬼指導された
私からすると衝撃です!笑

 

でも、だからこそ、今、日本で
まかり通っているような
「労働」の概念を変えていく必要が
あると思います。

 

だって、今までのやり方だと
お金がもらえないってことに
なりますもんね。

 

ここで思い出していただきたいのは、
ユダヤでは、労働は、
「神のワザと同じくらい創造的なもの」
なんですよね。

 

つまり、本来の労働っていうのは、
画一的な勉強だけして、
サラリーマンになって、
だれでもできる仕事を淡々とこなす

 

ということでは
きっとないんですよね。

 

それは、創造的でもないし、
これから機械にのっとられる可能性が高い。

 

だから、目指すゴールは
そこじゃないんだよ、

 

ということを自分も認識して、
子どもに教えないと
いけないんだろうなーと思います。

 

自分を押し殺すこと、ではなくて、
自分にしかできない価値提供って
なんだろう?

 

という視点を子どもに持たせることが
子ども自身が生き残ることになり、
それが、子ども自身の幸福感に
つながるのかなーと思います。

 

そのために、じゃあ、何が必要か?
考えてみると、

 

「自分を大事にする」
「自分の心を大事にする」
「自分の好きを大事にする」

 

つまり、内なる自分の心の声を
聞ける人間になることが

 

感受性豊かで、
創造的な大人になるために
いまの子どもには
必要なのかなーと
最近、思うようになりました。

 

少なくとも、
毎日苦しんで仕事をする
という大人にはなって欲しくないです。
(もちろん、苦しむ仕事自体がなくなるかもですが)

 

今回は労働の話題なので、
銀行での昔話を書こうと思ったのですが、
長くなりすぎてしまったので、

 

この辺で終わります!
いつも長くなってすみません!

 

P.S.

 

娘たちが競馬にどはまりしています。

 

「メイセイオペラ」「インティ」
「ディープインパクト」
「オルフェーブル」「ステイゴールド」

 

などなど、何語やねん!?という
カタカナの馬の名前をひたすら
一生懸命ネタに話をしてくれます。

 

だれか通訳やって、って感じです・・・笑

 

もしかしたら、
小学生や保育所に通っているような
小さい子どもに競馬なんて、けしからん!

 

と言われそうな気もしますが、、、

 

「いいんです。いいんです。」

 

「好き」の力は絶大だと信じているので。

 

その「好き」こそが、
神がなしえるような「ワザ」になる時代だと
思います。

 

「労働」の概念が大きく変化しようと
しているいまだからこそ、
子どもの「好き」を信じたいと思います。

 

またも長くなってしまいましたが、
最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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