あなたの存在は〇〇!ユダヤに見習ってもっと自分を大事にしよう!

 

こんにちは!

 

突然ですが、
あなたは人にちゃんと意見できますか?

 

たとえば、会社での話。
上司に意見できますか?

 

ユダヤ人は、いちいち上司になんて気を使いません。

 

神にだって逆らうくらいなので、
上司に意見するなんて当然です。

 

「人の意見に反対しない人はユダヤ人ではない!」

 

というくらい、
会社だけでなく、人との関係においては
こういうスタンスです。

 

かたや日本的には、「人の意見に反対する」
って考えただけでも「うっ」ときたり
しませんか。

 

特に、自分の評価を気にしないといけない
会社だとそうなって当然ですよね。

 

ということで、

 

今回は、日本人も見習いたい
「ユダヤの個人主義」について
書いていきたいと思います。

 

支店長は「神」!?

 

私は通算16年間くらい会社員をしていました。
(育休を取っているので実質は13年くらいです)

 

大学を卒業してすぐに大手銀行に入り、
大阪の支店に配属されたのですが、

 

もうびっくりするくらい、
「縦社会」「減点主義」「批判主義」
の世界でした。

 

いまでもリアルに思い出すくらい、
毎日張りつめた雰囲気の中で
上司が誰かに罵声を浴びせまくる

 

ミーティングのあと、
緊張のあまり顔を真っ赤にしている
先輩もいたりして
とにかく毎日殺伐とした雰囲気でした。

 

それこそ、上司は神か!?
というくらいで、

 

実際に、自分を「神」だと口に出して言っている
支店長もいるくらいでした。
(それはさすがに一人だけですけど)

 

そんな状況なので、
わたしも雰囲気に
すっかり呑まれてしまい

 

怒られないように、怒られないようにと、
上司の目ばかり気にして
ビクビクしていました。

 

それでも怒られるのはしょっちゅうで、
そんなときは全身全霊をかけて
「自分はダメ人間だー!!最低の人間やー!!」
ってひたすら自分を否定しまくっていました。

 

自分で自分を責めるのが大得意の
自爆人間にあるあるのパターンに
すっかり陥っていたんだと思います。

 

もちろん、年次が上がれば
「なんでやねん!?こっちの言うこと正しいやろ!!」って
思うこともあったんですが、

 

それでも、言いたいことの90%は
ぐっとこらえて飲みほしていました。

 

逆らって評価を下げられたくない、
という打算があったのは事実ですが、

 

他にも、課の雰囲気を壊したらだめだ、とか、
支店長にモノ申したら課長の顔をつぶす、とか。

 

自分がその場の空気を汚してはいけない、
という思いもかなりありました。

 

とにかく、会社では、
上が「やれ」と一言いえば、
それが正しいか正しくないかは
度外視して、とにかく答えは
「YES」のみです。

 

上司に正面切って
「NO」と言う人はほとんど
見たことありませんでした。

 

程度の差こそあれ、
会社でこんな状況の人って
結構いらっしゃいませんか。

 

超がつくほどの「個人主義」

 

ユダヤ人から日本人を見た印象は
「めっちゃいい人」「優しい」「親切」のようです。

 

実際、イスラエルは親日の傾向です。

 

ただ、一方で、
「言いたいことがよく分からない」
「意見がはっきりしない」

 

なんて印象もあります。

 

じゃあ、ユダヤ人はどうかというと
聖書の時代から、超がつくほど
はっきりした「個人主義」です。

 

「1万人の日本人をまとめるより、100人のアメリカ人をまとめる方が難しく、100人のアメリカ人をまとめるより、5人のユダヤ人をまとめる方が難しい」

と言わるくらいです。

また、

アメリカの大統領、トルーマンと
初代イスラエル大統領、ハイム・ワイズマン
との会話で

トルーマン
「私は1億5千万人の国民を率いてゆかねばならないから大変ですよ。」

ワイズマン
「私のところには5百万人の ” 大統領 ” がいますから苦労しますよ。」

(⇒当時のイスラエル人口5百万を大統領に例えるくらいみんな意見がハッキリしている)

という会話があったとされるくらい、

全国民の自己主張が激しいのです。

 

なんでそんなに自己主張がはげしいのか?

 

じゃあ、この国民性の違いって、
そもそもどうしてなのか?ですが、

 

それは、「個人」というものへの
考え方が根本的に違います。

 

日本でももちろん、
一個人は尊いもので、
唯一無二の存在とされてはいます。

 

でも、個人の大切さ以上に
「和を以て貴しとなす」の文化で、
「全体の調和」を優先する国民性ですよね。

 

会社や学校でもそうだと思います。

 

いっぽう、ユダヤでは

「1人の人間は、神が創造した宇宙と同じ価値がある」

「1人の人間は小宇宙であって、宇宙の秩序、美しさ、栄光をすべて一身にしめている」

「人は誰でも他人と違った、まったく新しい存在として生まれてくる。そこで世界にどのような新しい貢献ができるかによって、その人の価値が決まる」

というくらい、個人を大事にするんです。

 

そう、

 

ひとりの人間=宇宙

 

なんです。

 

どうでしょう。
自分ことを「宇宙と同じ価値がある」
と思えますか。

 

少なくとも、わたしは人生で
一度も思えたことありません。

 

というか、そもそもそんな発想自体
ありませんでした。

 

親からも、先生からも、誰からも
聞いたことありませんでした。

 

日本だと「個人主義」というと、
あたかも、「空気を読まずに
我を押し通す勝手なヤツ」

 

みたいな悪いイメージが先行しますよね。

 

でも、ユダヤはまったく真逆で、
「個人主義」というのは

「自分にしかない能力を使って社会の役に立つ。

それこそが、必ず社会の役に立つはずだ。」

とプラスに考えるのです。

 

心をいれかえよう

 

ユダヤをいろいろ勉強してみて
感心することはたくさんあるのですが、

 

1人の人間を「宇宙」に見立てる
という、この発想には、もう言葉がでませんでした。

 

自分はいままで、
それくらい自分自身に意味があると
思えたことがあるだろうか?

 

自分が宇宙ということは、
他人一人ひとりも宇宙で、
そのくらい他人の価値を
大事にできていたのだろうか?

 

身近な存在の、夫や子供に対してすらも、
” いて当たり前 ”と思う気持ちがなかっただろうか?

 

・・・正直、自分に対しても
他人に対しても
まったくそこまでの価値があると
思えていませんでした。

 

でも、ユダヤの考えを知って、
心を入れ替えようと思いました。

 

個人主義と聞くと
ついつい我がままと思いがちですが、

 

ユダヤの個人主義は全く逆で、

実は

「究極の自分思い、他人思い」

 

なんだな、と思います。

 

 

いまこれを読んでくだっている方が
会社員だとして、

 

じゃあ、現実問題、
自分の意見を通すのは大事だから

 

「上司に意見することも自分なりの社会貢献だ!」

 

とか言って、ガンガン上司にモノ申せるか、
というと、実際にはなかなか無理だと思います。

 

でも、たとえば、少なくとも、
夫や妻、子ども、親、友達、職場の同僚など、

 

周りの人、一人ひとりを「宇宙」だと
思って過ごすことなら今日からでもできると思います。

 

周りの人たちを
「めんどくせーやつらやな」と思って
過ごすのと、

 

「あなたは宇宙」と思うのとでは、
全然心のあり方が
違うな、と思います。

 

これは、自戒を込めて本当に思います。

 

心が変われば態度が変わる/態度が変われば行動が変わる/行動が変われば習慣が変わる/習慣が変われば人格が変わる/人格が変われば運命が変わる/運命が変われば人生が変わる

という言葉がありますが、
おっしゃる通り!と
思いつつ、、、

 

ちょっと長いです、これ。

 

なので、とにかく最初の
心を変えるために、
まずは、

 

「わたしは宇宙、あなたも宇宙」

 

と今日から考えるようにしていこうと思います。

 

ということで、
ユダヤの考えってなかなかいいな
と思って下さった方は、

 

ぜひ、生活に取り入れてみてはいかがでしょうか。

 

P.S.

 

写真は保育所の運動会で、
0歳児の一幕です。

 

0歳児の演技って、
ほんとにうだうだです。

 

何事にもついつい「意味」
を考えてしまうわたしには
全く理解できませんでした。

 

1人目2人目のときなんかは、
見るたびに、
こんなうだうだで
やる意味ってあるんだろうか?

 

って考えてしまっていました。

 

でも、よくよく考えてみれば
3歳くらいまでは
周りの目なんて全然気にせず、

 

「私が宇宙よ」
って感じで我が道を行っています。

 

これって、いまさらながら
そのことにこそ、意味があるねんな、
と思います。

 

それが、だんだん
4歳とか5歳くらいになると
周りに合わせましょう、
仲良くしましょう
と教わってそうなっていきます。

 

社会性はもちろん必要なんですが、
同じくらい自分のことを大事に
する力も生きて行く上で
必要なんだな、と

 

大人になってようやく
感じています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

Follow me!