ユダヤに学ぶ理由と『神の視点』という考え方

 

こんにちは

 

最近、
私の頭の中は「ユダヤ」漬けなんですが

 

「なんでユダヤやねん?」
「宗教??怪しい」
と思うひともいるかもですよね。

 

とういうことで
今回はそんな怪しさを払拭するため(?)

①なぜ私がユダヤに学ぼうと思ったか

②実際に学んでみて何が変わったのか?

③ユダヤを学んでどうしたいのか?

 

について書いてみたいと思います。

 

 

なぜ「ユダヤ」を学ぼうと思ったのか?

 

ではまず、日本ではほとんどなじみのない
「ユダヤ」になぜ学ぶことになったのか
について書いていこうと思います。

 

きっかけとしては、

 

「イチからお金を生み出すことの難しさ」

 

を常々感じていたことがあります。

 

①銀行で営業マンとしてノルマに
追われまくっていて、心底しんどく、
収益を上げるのって難しい
と悩んでいたこと

 

②子どもを産んで親になってみたけれど
会社に依存して生きていかねばならない
という不安はいつまでたっても消えなかった

 

という2つのことが常に
わたしにはストレスになっていました。

 

仕事でもプライベートでも
「自分の力で生きれるか?」
と自分に問うてみても
明確に「YES」とは言えない状態でした。

 

私は大学を出てすぐにメガバンクに
総合職として入社しました。

 

最初は大阪の支店に配属され、
法人営業として働きだしました。

 

そこで知ったことは、
とにかく毎日
「収益、収益、収益、収益、収益!!」

 

と追いまくられることです。

 

証券会社ほどではないものの、
膨大なノルマが降りかかってきました。

 

しかも、当時の支店長が全国トップ3に
入るくらいのスーパー強烈
鬼キャラ支店長で

 

それこそミーティングの時に
椅子に座っている副支店長を
「稼いでこいや!!!このクズが!!!」
と足蹴りするような人でした。

 

とにかく、ひたすら数字に追われる日々・・・。

 

転勤して支店が変わっても
結局はひたすらノルマに追われる毎日・・・。

 

「お客さま第一です」なんて
いかにもジェントルマン風に
体裁の良いことを言いながら

 

結局は銀行のために数字を上げるしか
営業は評価されないのです。

 

そんな中
わたしの成績はそこまでパッとしませんでした。

 

ふつーでした。
きらびやかな数字は上げられませんでした。

 

こんなことで、男社会の中で自分が
上にはあがれない!
どうしたらいいんだろうか?

 

と、悶々と悩みながらも
ただただ時間が過ぎました。

 

結局そのまま数年が経ち
その間に結婚して2人の娘を出産し
最終的にはメガバンクでの戦には
耐えられなくなり退職しました。

 

その後、転職したのは
とある中小企業でした。

 

そこは銀行と真逆で
ぬるま湯みたいな会社でした。
右から来たものを左にスライドするだけの
作業工場みたいな会社でした。

 

やりがいはないけど
9時から17時の勤務で
子どもを抱えた私からするとありがたい
労働環境で、そこそこ満足でした。

 

最初はこんな働き方もあるのかーと
ぼーっと働いていたのですが
株式会社である限りは
やっぱり数字も気になります。

 

銀行のように
「数字が取れないヤツ」=「クズ」
ほど過激ではないにしても、

 

やんわり数字を求められますし、
自分自身も営業マンとして数字を
上げなければ!と思い始めていました。

 

ここでまた
営業で爆発的に数字を上げるには
どうしたらいいんだろうか?
と悩みだしました。

 

そして、ちょうどこの時
同時並行的に悩んでいたことが

 

子どもをこれから20年以上
育てていかねばならないのに

 

結局そのために必要な収入は
会社に依存するしか
ないのだろうか?という
疑問と不安でした。

 

会社での自分の存在価値は
数字をあげることでしかない

 

とはいうものの、そもそも会社に
依存する生き方はどうなのか???

 

気付けば次の2つの問いが漠然と
頭の中をぐるぐるし始めました。

 

そして、自分の頭で考えても仕方ないな、
と思い「営業」「カネ」に関する
色んな本を読んでみたところ

 

たまたま出会った本が
『ユダヤの商法』という
日本マクドナルド創業者の
藤田田さんの本だったのです。

 

この本を読んで思ったのは
「リアリティはないけど
ユダヤ人は最強民族らしい」

 

「もしかしたらこの民族に
生きるヒントがあるかもしれない!」
ということでした。

 

そこからは、自然とユダヤの本を
どんどん買いあさっていました。

 

ついにはヘブライ語まで勉強し始めました。
(今はいったんお休み中ですが)

 

最初は
「営業で数字をあげるヒントはないか?」
「子供のためにも会社に依存せずに
生きるヒントはないか?」
の視点でしかなかったのですが

 

今では
「生きるということは?」
「人間とは?」

 

というところにまでユダヤに
答えがあるのではないか
と学ぶようになりました。

 

 

実際に学んでみて何が変わったのか?

 

先ほども書きましたが、
まず、学んでみて大きく変わったことは

 

「人間が生きるとはどういうことか?」

 

ということを
自然と思考するようになったことです。

 

また、これまではついつい
目先の細かなことに
振り回されて一喜一憂することが
多かったのですが

 

「目先の起きている現象を一歩下がって
見られるようになったこと」

 

が大きな変化だと思います。

 

それはなぜかというと、
ユダヤ人は

 

「神ならこの状況をどう考えるか?」

 

という視点を常に持って
物事を考えているからです。

 

これは、神を信じているかどうか
という信仰心の話ではありません。

 

そうではなくて
「神の視点」=「別次元」
で物事を見られるかどうか?
という思考の話です。

 

つまり、この「神の視点」を持っていれば、
何か現象が生じた時に
感情で捉えて判断するのではなく

 

「頭」で捉えて「冷静に思考できる」
ようになるのです。

 

「自己を相対化して思考する方法」
とも言えると思います。

 

例えば、今のコロナ禍についても
感情まかせにしてしまうと

 

「大変だ大変だ
こんな悲惨な状況になってしまって!」

 

とマイナスの解釈をしてしまうのが
普通だと思います。
(実際、大変ですし。)

 

しかし、これが「神の視点」を持つと

 

「本当であれば致死率90%という
もっと驚異のウイルスがやってくるかも
しれなかったのに

 

神はその前に致死率が低いウイルスで
とどめてくれた。
人類はコロナを教訓に学べる機会を得た!
コロナありがとう!」

 

という180度
真逆の発想すら生まれるのです。

 

もちろんこれは
実際にお亡くなりになった方々や
重症化された方々のことを無視して
軽くて良かったと言うつもりはありません。

 

そうではなく

 

「困難を一歩下がって見る視点を持つ」
ということに意味があるのであり

 

これが、「心の余裕」と「精神の平穏」
をもたらす上で極めて重要な要素だ
ということを言いたいのです。

 

人間、やはり自分が一番かわいいし、
自分に固執するのは当然だと思います。

 

しかし、固執しすぎるが故に、
不安・恐怖といったマイナスの感情に
支配され、短絡的にしか物事を
見られなくなる傾向にあります。

 

それが、5000年の歴史を持つ
「ユダヤ民族の生き方」を学ぶことによって
少しでも自分の心を平穏にし

 

「悩むのではなく
まずは思考してみる」

 

という頭の回路ができあがるのです。

 

 

これからどうしたいのか?

 

ユダヤは歴史や文化、思想、芸術などなど
言い出すとは幅広く、
まずは、もっとユダヤについて

学ぶ必要があると思っています。

 

そして、同時に、ユダヤに
共感してくれる人が現れて、
その人自身の人生が良くなれば
なおさら良いなと思っています。

 

私は別に神は信仰していません。
宗教心は全くありません。

 

そうではなくて
『ユダヤの生き方』を知ることで

 

自分の人生はもちろん、
個々人の人生も同じように
良くなるのではないか
と真面目に思っています。

 

いまの時代は変化が速く、
正しい価値観自体、
わからなくなることがあります。

 

それが「ユダヤの生き方」
を学ぶことで自分の中に
一つの軸が出来た気がします。

 

その軸とは
「自分で思考してみる」
「そのための材料をユダヤに学ぶ」
ということです。

 

人生にはいろんな困難があると思います。

 

その時々で、その困難に
どう立ちむうのか?

 

また、自分の子どもたちにも
困難とは必ず起こるものであり
困難が起きた場合に
どう対処すればよいのか?

 

について、ユダヤに「知恵」を
学ぶことはとても意味があると思います。

 

女性としての生き方
母としての生き方
はもちろん

 

「ひとりの人間」として
自分の人生にどう向き合えばいいのか?

 

を考えるひとつのヒントに
ユダヤの思想がなるのではないかと思い

 

これからも自らが学び、
それを発信していこうと思います。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

P.S.

 

小学一年生の娘がアサガオを
育てていました。

 

全然花が咲かないと悲しんで
いたんですが、

 

しばらくすると
ようやく1つ花が咲きました。

 

その時は、わたしも
おーやっと咲いたやん!と
素直にうれしかったです。

 

こういう小さな感動系、
すっかり忘れてたなー。

子育て、
めんどくさいことばっかりですけど、
子どもの目線で世の中を見る

 

っていうのも勉強ですね。

 

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